虎に翼で、寅子の夫となった優三(ゆうぞう)さん。
視聴者からも愛されている優三さんですが、戦争へ行ってしまうことが発覚。
「優三さん戦死する?」とネットで話題になっています。
優三さんは、戦争で亡くなってしまうのでしょうか。
モデルとなった人物の史実から優三さんのその後について調査しました。
優三さん戦死する?
虎に翼で、寅子の夫の優三(ゆうぞう)さん。
出征し戦地へ向かいましたが、優三さんは戦死するのでしょうか。
残念ながら、優三さんは戦死することが分かりました。
優三さんが戦死してしまうなんて、ショックすぎます・・・。
優三さんが戦争へ行くことが判明すると、ネットで話題になっていました。
『虎に翼』録画して夜に次女と見てる。優三さんがいい人過ぎて、これからくるであろう戦争の大波が怖い、次女と「優三さん死なないで」と願っている。
— のん (@non314ma_green) May 21, 2024
優三が死ぬの考えたくない、戦争許すまじ、全お茶の間が優三を愛しているというのに
— 朝際イコ🦋 Ico Asagiwa (@icoasagiwa815) May 21, 2024
お茶の間から優三を奪わないでくれ
今日の優三さんに私も励まされた。そして惚れた。ああ優三さん、どうか死なないで。朝ドラの、この戦争が迫ってくる感じが本当に毎度苦しい。 #虎に翼
— いのくち (@pachecoTUMMY) May 21, 2024
戦地へ向かう優三さんに対して心配の声が続々と上がっていました。
『死なないで』という声もたくさん上がっています。
虎に翼の多くの視聴者から、優三さんはとても愛されているようです。
しかし、残念ながら優三さんは戦死することが判明。
優三さんは、なぜ亡くなってしまったのでしょうか。
また、どこで戦死したのでしょう。
戦争へ向かう前から戦死するまでの優三さんについてまとめてみました。
赤紙が届き戦争へ
虎に翼の第40話、優三さんに赤紙が届きました。
この頃、日本は大変様戦争を真っ只中。
優三さんのような若くて健康な男性たちは、戦地へ向かいました。
そのため、赤紙がきた時に優三さんは覚悟をしていたような対応でした。
戦争へ召集される前、優三さんは最後に寅子とデートします。
優三さんは『後悔せずに心から人生をやりきること』を寅子に願いました。
寅子の好きな生き方で生きて欲しいことを告げます。
優三さんは、どんな時も寅子のことを一番に考えていますよね。
最後になるかもしれないと考えて、寅子に伝えたと思うと涙がでます。
そして、ついに優三さんが出征する日がきました。
出征の日、優三さんの見送りに大勢の人が集まります。
寅子が作ったお守りを持ち、笑顔で戦地へ向かいました。
そんな優三さんを寅子は追いかけ、変顔をします。
そして、優三さんもまた寅子に変顔をしました。
最後に二人は笑顔でお別れをしました。
試験の時、寅子が優三さんが緊張しないように変顔をして勇気付けていましたよね。
お互いを励ますため、二人は変顔し合ったのかもしれません。
もしくは、最後はお互いに笑顔で別れたかったのかもしれませんね。
戦死の知らせ
虎に翼の第42話、優三さんの戦死が発覚します。
優三さんが亡くなったのは、昭和21年5月23日でした。
寅子は、優三さんが亡くなってから半年後にこの事実を知ります。
なぜなら、父の直言が優三さんが亡くなったことを隠していたのです。
直言は、寅子が倒れてしまうことを心配して優三さんの戦死を隠していました。
寅子がショックを受けて倒れたら、猪爪家が駄目になってしまうと考えたそう。
そのため、なかなか直言は優三さんが亡くなったことを伝えられずにいました。
どこで亡くなった?
戦死したことが判明した優三さんですが、どこで亡くなったのでしょうか。
調べた結果、優三さんは、病院で亡くなったことがのちに判明します。
優三さんの最期が判明するのは、虎に翼の第9週。
寅子の元に『小笠原』という男性が訪ねてきます。
小笠原は、優三さんと復員を待つ収容所の病院で知り合いました。
二人は共に病院に入院していて、ベッドが隣同士だったそう。
小笠原の容体が悪化した時、優三さんは寅子から貰ったお守りを小笠原に渡しました。
「このお守りはご利益があるから、絶対に助かる」と、小笠原に持たせたそうです。
お守りが効いたのか、小笠原は回復し元気になりました。
しかし、優三さんは容体が悪化。
優三さんは、病院で亡くなってしまいました。
遺骨はありませんでしたが、遺品として小笠原は寅子にお守りを返しました。
優三さんがどんな病気で入院したのかは、明かされていません。
もともと、優三さんは胃腸が弱かったことが分かっています。
物語の中でも、緊張をするとすぐにお腹を壊していました。
死と隣り合わせの戦地は、緊張する日々を過ごしていたと考えられます。
もしかしたら、そのような日々の中で体調を崩したのかもしれません。
寅子があげた優三さんのお守りは、ボロボロになっていました。
もしかしたら、戦地でお守りを何度も握ったのかもしれませんね・・・。
寅子と一人娘の優未、愛する家族と離ればなれになり、一人で亡くなっていった優三さんを想うと悲しいですね。
優三さんの実在モデルは戦争で亡くなったのか史実を調査
虎に翼の優三さんには、実在モデルがいたと考えられます。
史実から、優三さんの実在モデルも戦争で亡くなったことが判明しました。
虎に翼の優三さんの実在モデルは、公式発表されていません。
しかし、史実から優三さんのモデルと考えられる人物を発見しました。
実在モデルは誰?
優三さんのモデルと考えられる人物とは誰だったのでしょうか。
そこで、寅子のモデル三淵嘉子さんの史実を調べました。
すると、優三さんの実在モデルだと考えられる人物を発見しました。
優三さんの実在モデルは『和田芳夫さん』と考えました。
現時点で、公式から優三さんについては情報が公開されていません。
そこで、三淵嘉子さんの史実を確認してみました。
すると、優三さんの実在モデルと考えられる『和田芳夫さん』という方を発見。
優三さんのモデルが和田芳夫さんと考えたのは、以下の3つの理由です。
- 三淵嘉子さん(寅子)の書生
- 寅子の一人目の夫
- 戦死している
和田芳夫さんは、三淵嘉子さんの家の書生でした。
また、三淵嘉子さんの一人目の夫でもあります。
史実によると、和田芳夫さんは戦争へ。
その後、戦死していることが史実から判明しました。
以上の条件が、優三さんと共通しています。
そのため、優三さんのモデルは和田芳夫さんと考えました。
しかし、虎に翼は史実を踏まえたオリジナル作品です。
そのため、優三さんと和田芳夫さんには異なる点もあります。
例えば、虎に翼で優三さんの父親と寅子の父親は大学時代の親友という設定でした。
しかし、史実によると、和田芳夫さんの父親と三淵嘉子さんの父親は友人ではありません。
実際は、三淵嘉子さんの父親の友人の親戚と異なっています。
また、三淵嘉子さんと和田芳夫さんは5年ほど結婚生活を送っていました。
寅子と優三さんの結婚生活は、それよりも短い期間です。
このように、優三さんと和田芳夫さんは異なる点もありました。
優三さんは、和田芳夫さんの史実を元に考えられた『虎に翼』のオリジナルキャラクターということですね。
実在モデルも戦争で亡くなった?
優三さんの実在モデルと考えられる和田芳夫さん。
和田芳夫さんは病気で亡くなったことが分かりました。
和田芳夫さんに赤紙がきたのは、昭和19年。
しかし、この時和田芳夫さんは戦争へ行っていません。
実は、和田芳夫さんは過去に助膜炎という病気を患っていました。
病気の後遺症があったため、召集を解除されています。
しかし、翌年再び和田芳夫さんのもとに赤紙が届きました。
後遺症が残っていることを伝えましたが、出征することが決定。
昭和20年、和田芳夫さんは中国へ出征しました。
中国へ到着後、すぐに和田芳夫さんは助膜炎を再発。
上海の病院に入院し、終戦の日を迎えました。
終戦後、舟で日本を目指していたところ容体が悪化。
長崎の病院に着いた時には、危篤状態だったそうです。
和田芳夫さんの容体の変化は、すぐに電報で三淵嘉子さんに伝えられました。
しかし、電報を送った先が三淵嘉子さんの本籍のある四国。
三淵嘉子さんの元に電報が届くまで時間が掛かってしまい、最期には間に合いませんでした。
昭和21年5月23日、和田芳夫さんは一人病院で亡くなりました。
もし電報が、はじめから三淵嘉子さんの元に届いていたら、最期に三淵嘉子さんと息子に再会することができたかもしれないですね。
まとめ
- 優三さんは戦死する
- 死因は『病気』だったと予想
- モデルとなった人物は、和田芳夫さん
- 和田芳夫さんは、病気で死亡
- 死因は、助膜炎の悪化
モデルとなった人物の史実から優三さんのその後について調査しました。
残念ながら、優三さんは亡くなることが今回判明しました。
やっと寅子と結ばれ、娘の『優未』も生まれたばかり。
出征が決まった時の優三さんの想いを考えると、辛いですね。
できれば、弁護士となった寅子をこれからも影で支えて欲しかったです。
視聴者から愛されていたので『優三さんロス』が起きそうですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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